海原
2026/03/22 23:13
本当は性描写がない場合の左右ってどっちでも良くないかと思っているけど、世間的に左右はかなり重大であるのは理解しているので、一応私の左右観はこうです、というのを明らかにしておいた方がいいかなと思って下の文を描いた。
性描写がない(=全年齢)の左右を気にしないのが、私が逆カプも見れるからだけではなく、恋愛関係にはセックスが付きものだ、という考えをしないからかも。まず愛に対する興味があって、次に、それがどういう行為に結びつくか(恋愛または性愛関係になるかならないか、父性や母性のようなものになるか、あるいは暴力や支配といったものに変化するか)に興味がある。核にある愛がどういう広がりを持つようになるのかを考えるには、まず前提として愛になにが含まれているかが重要になってくるな。恋愛としての愛が性愛を含むものなら、性描写のない恋愛描写にも左右の明記を求める気持ちもわかる。
性描写がない(=全年齢)の左右を気にしないのが、私が逆カプも見れるからだけではなく、恋愛関係にはセックスが付きものだ、という考えをしないからかも。まず愛に対する興味があって、次に、それがどういう行為に結びつくか(恋愛または性愛関係になるかならないか、父性や母性のようなものになるか、あるいは暴力や支配といったものに変化するか)に興味がある。核にある愛がどういう広がりを持つようになるのかを考えるには、まず前提として愛になにが含まれているかが重要になってくるな。恋愛としての愛が性愛を含むものなら、性描写のない恋愛描写にも左右の明記を求める気持ちもわかる。
久々に見返し、デートのシーンで、アイリーンがビンセントの目の色が違う、ということに気づいたところにグッときた。成り代わり計画の際に、全然顔が似てないからすぐばれるよ→いいや、皆遺伝子しか気にしてなくて人の顔なんて誰も見てない、というやり取りがあったことを踏まえて、アイリーンがビンセントの目の色の変化に気づいたことを考えると味わい深い。アイリーンはビンセントそのものを見ていた。優れた遺伝子で、並外れた知能に運動能力の持ち主、という肩書きではなく、ビンセント自体に興味を持っていたからこそ些細な変化にも気づけた、と解釈。純愛だ。一度見た映画を見返すと初見の時には拾えなかった要素にも思いを巡らすことが出来て面白い。
肉体からの解放、がこの映画のテーマの一つとしてあるのかも。最後のジェロームの行動が分からなかったけど、ビンセントのストーリーは身体的制約に打ち勝つことであり、ビンセントと対になる存在のジェロームにも同様のテーマがあるとするなら、自らを焼くというジェロームの行為は不自由な身体からの解放という表現であるといえそう。はちゃめちゃに努力するか死ぬしか身体から自由になる方法はないのか…。大変だ。#感想