海の家なんでも書く

海原

愛の本質は利他心なのでは、と最近思う。映画とか小説で感動したシーンの分析をしたり、推しカプがなぜ愛し合っていると言えるのかを改めて考えてみたりした結果、私は、自分のことは一旦置いといて、相手のために何かをすることを愛だと思っているのかも…という結論に達した。「笑って欲しい」「幸せになってほしい」という感情が好きなのもそれが理由かも。「私のために笑って欲しい」と考えることもできるけど、核になるのはやっぱり「相手が幸福であるように願う気持ち」だと思うし、「私のために」であったとしても、それはそれでめちゃくちゃ愛だなとも思う。ガバガバだな。
でも、実際為される愛の行為が純度100パーの利他心で構成されている必要はないと考えている。好きな相手に嫉妬心や独占欲を向けるのは実際よくあることで、そういう感情は利他心とは相反するものだけど、矛盾する感情を抱えることができるとも思…いや…どうかな。真反対の気持ちが同時に成立することってあるのか?「愛憎」という言葉があるけど、よく分からない。愛と憎しみは極にあるものだと思うから、「愛憎渦巻く関係」ってのも理解できない。愛しているのに憎んでいるってどういう状態?憎しみの感情は愛を成立不可能にしないのか?その気持ちは愛、あるいは憎しみと表現していいものなのか?でも、愛と憎しみが同時に成立するような、割り切れない感情もあるのでは?
こうやって分かんなくなっちゃうから、愛の原液、みたいな話しか描けないんだ。でも一番好きなの純粋な愛の話だからいいんだけどね。

※利他というより、無償性のほうがしっくりくるかも…見返りを求めないことが愛の構成要件として重要な気がしてきた。今後の課題。

(追記)
「愛憎渦巻く関係」で銀魂~𠮷原炎上編~の日輪と鳳仙を思い出した。塵になる鳳仙を抱きかかえて慈しむような眼差しを向ける日輪には、鳳仙への愛とも言えるようなものを感じる。情と言った方がしっくりくるかな。日輪にとって鳳仙は、ずっと「太陽に当たれないかわいそうなおじいちゃん」だったから、酷い扱いを受けた上でも、鳳仙に対する憐憫の情は消えていなかったのかも。
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